遅延陽光
越前が、崩れ落ちそうな小柄な身体を必死に支えて踏みとどまる。もはや痛々しささえ感じるその試合を誰もが固唾を飲んで見守っていた。向かい合うコートで不敵に佇む皇帝は勝ち誇った様子で高らかに告げる。「貴様ら青学の優勝など、最初から存在すらしていないのだからな!」
瞬間、見上げる瞳が大きく開かれ獰猛な獣のように真田をねめつける。彼は今、青学の柱の逆鱗に触れたのだ。
✳︎✳︎✳︎
「……ちょっと、なに見てんの」
当時より低くなったとはいえ、未だハスキーな声が不機嫌を纏う。
日課のロードワークから帰ってきた越前は、勝手知ったる手塚のアパートでシャワーを浴びて炭酸水まで拝借した上でリビングに現れた。遠慮というものを中学のうちにもっと教えておくべきだったかもしれないと思ったが、もはや完成された性格でもあったことを考えて脳内で留めておく。そもそも、合鍵を渡して好きにさせている時点で無駄なあがきともいえる。
思わず映像を止めたリモコンを利き手に円盤のパッケージを見やる。簡素なROMには「関東大会 決勝S1」とだけ記載されており、何が映っているかは一目瞭然だった。
「乾から国際便で、誕生日おめでとうと」
「嫌がらせじゃん! 俺もこっちにいるの知ってるよね、あの人」
タオルドライで雑に拭いつつ、悪態と共にソファへ腰掛ける。昔のチームメイトに把握されている事実自体は諦めているようだ。狙いすましたように送られてきた荷物には、祝いの言葉と「喜んでもらえるはずだよ」の添書きが同封されており、首を傾げたのが先刻の話。再生してみれば、そこには若く荒削りながら闘争心に燃えたルーキーの姿があった。
九州から帰還した際、試合の映像を皆で確認した覚えはある。が、このアングルは記憶にない。どちらかといえば全景だったのもあるだろう。何種類も撮影出来ているのは部員に協力を頼んだからとはいえ凄まじい限りだ。乾は情報の取捨選択をすると同時、むやみやたらに振り撒かない。それはデータを扱う者の大前提の信頼だからだ。つまり、この本来ならお蔵入りされる映像が手元に届いたのはお節介の賜物である。有難いようで頭が痛い。
しかし、まずケアすべきはタオルをかぶって沈黙する隣のむくれたパートナーだ。ある程度はドライヤーもかけてきたらしい頭を繊維越しにかき混ぜる。手元のボトルを勢い良く開けた越前は二口ほど飲むとローテーブルへ叩き付けた。
「だって腹立つじゃん」
「そうだな」
この語彙が向けられたのは在りし日の対戦相手であり、乾ではない。引きずっているのでもなく、瞬間沸騰を思い出しての気まずさだろう。
「あれ聞いた瞬間、大石先輩の“勝つために来た”とか今までの試合がぶわって頭の中に浮かんできて。一番最後に部長だった」
タオルの下の瞳が不服から闘志へと切り替わる。まるでベンチにいるような錯覚で手塚は瞬いた。自分のいなかった夏の日差しを浴びて、越前が告げる。
「ここで負けたら、部長がいなきゃ勝てないチームになるって」
ざあっ、と一陣の風が通り抜けた。確かに、そう感じたのだ。
「そんなのめちゃくちゃ悔しい。俺たちは俺たちで強い、欠けたら青学じゃなくなるわけじゃないよ。だから絶対に倒すって思った。それだけ」
捲し立てる口調は感情のまま、ただ最後に気恥ずかしさが加えられた。
「そうか」
万感ながらも短い相槌。我ながら歯痒いが、苦情はこない。手塚が多くを語らずとも受け取ったのを理解しているのだ。まさか成人もとっくに過ぎた歳になって噛み締めるとは思わなかった事実に口元がほころぶ。
「確かに最高の誕生日プレゼントだな」
柔らかな響きを持った呟きに越前が大きく目を瞠り、些か拗ねた表情で腕を伸ばしてきた。
「アンタ、言葉少なくても許されるのホント感謝してよね」
首へ絡む腕が引き寄せるのに任せ、照れの混じる瞳へとまずは口付ける。
タオルが静かにソファへ落ちた。
2019/10/07
3rd関東立海にて件の台詞を受けたntkリョーマがすごい表情をしたので。