しのぶれど
「財前と付き合うとったら良かった」「はい?」
酔うには早すぎる。相手のビール缶と己のチューハイを見比べつつ、そういえば今日はテンションがおかしかったと思い起こす。
謙也の部屋で飲むのは珍しくもない。単純にコスパが良いのと、変な絡みを避けられるからだ。この場合は主に逆ナンを指す。昼間に出歩いても声が掛かるこの男はとにかく目立つ。外見はピアスの多い自分が言えたことではないにせよ、雰囲気が周りを惹き付ける。要は断られなさそうでノリも良さそうに見える訳だ。二人でいてその申し出を受けたことなどないのだけど。
謙也は広く仲良く出来るし親身にもなってくれる。しかし、懐へ迎え入れるかどうかは別だった。部活に明け暮れた中学高校はまだしも、大学でさえ男同士が楽しいモードを貫いてる。
――ええなあ、恋人ほしい。
呟いた最初はいつだったか。求められる期待も視線もシャットアウトし続ける相手へ、どんだけ理想高いねん、と呆れたこともある。
財前が少々長い回想に沈むうち、反応がないのに拗ねたらしい。まだ十分に中身のありそうな缶を握ったまま、とんでもないことを言い出した。
「やって、俺の初ちゅー財前やし」
「はああああああああ?!!!」
やっていいボケと悪いボケがある。思わずアルミ缶を握ってへこませ、鋭い視線を飛ばせば第二波がきた。
「お前、俺んちで無防備極まりなかったやん。うたた寝しよるし」
「は、」
息が止まった。絶句する財前を見て我に返った謙也が慌ててローテーブルへ缶を置き両手を振る。
「いや、一回やで?!そないに何度もしてへんからな!」
出来心っちゅーか魔が差したっちゅーか。右から左へ流れてゆく言葉が理解できない。
なにしろ一人暮らしの現在よりもっと昔、下手をすれば中学にまで遡る話だ。一体いつの時期か問い詰めたいようで触れたくない気もする。頭が働かない財前を置いて、謙也は指でテーブルへのの字を書いた。
「お前かわいかってんもん」
「過去形すか」
「今もめっちゃかわええ」
「そりゃどうも」
もん、とか言うなしばくぞ。脳内でならするする出てくる罵倒はぶつけられず、即答でかわいいを連呼することへの相槌に留まる。
「彼女とかええ雰囲気になるやん、キスするんかなって俺も思うやん」
ヤケクソの勢いか、聞いてもないのに恋愛失敗談が始まった。
「できへんかってん……」
「キスで?!」
正直、もう満腹である。頭を抱えるように俯くのは勝手だが、そのポーズは財前がしたい。この男、完全に酔っている。思い詰めた上でのアルコール切っ掛けの場酔いだ。
「財前ともキスしかしてへんのに」
「基準にせんといてくださいよ。ちゅーかカウントすな」
「好きになれると思うねんで、最初は。でも告白されそうになったら避けてもうたり、なんかそういう雰囲気でキスっぽくなってもあかんかってん」
「それ彼女ちゃいますやん」
「俺もそう思う」
聞けば周りに騒ぎ立てられてそういうことになってしまいそうになったとかで。外堀を埋めた努力へざまあみろと言いたい。
結局、既成事実未満でどうしようもなく散っていった敗者が数名。難攻不落の男が出来上がる。
「ちょろそうなのにどうしようもないとか舌打ち案件やん」
「せやから反省してねんて!」
喚いた謙也は僅か顔を上げ、それでも財前を見られず力なく呟いた。
「最初から諦めんかったら良かった」
落ちる沈黙。甚だ身勝手な語りを聞き終えて頭が痛い。財前が深い深いため息を吐けば、謙也の肩がびくりと震える。その、なにもかも終わったような表情が腹立たしい。
「玉砕前提で語られてる俺の立場は」
「ほな付き合うてください!好きや!」
「こちらこそ!!」
語尾に被せ合って再度の沈黙。目を見張る側となった謙也が固まっている。少しだけ溜飲が下がった。
「え、」
「勝手にやけっぱちになられてもうっといすわ。顔洗って素面でやり直し」
状況を飲み込めず間抜けな顔を晒す額を指で弾き、夢でないことを教えてやる。一瞬で絶望から立ち直り、満面の笑みで身を乗り出してきた。
「あいしてる!」
「うるさい!!」
テーブル越しで捕まってやるはずもなく、ぬるくなった二つの缶を避難させた。使い慣れた冷蔵庫へ向かえば不満の声。鼻を鳴らして口許を緩める。
そうそう調子に乗らせてなるものか。まずはきちんと順序を踏んでそれから、恋人として始めればいい。人生八十年と考えても十分、お釣りが来るのだから。
2019/06/10