嫌いな奴が好きで何が悪い!
「仕事を奪われた者は路頭に迷う。そんな常識を今更説かれたいのか?」カリムの生家なら響くだろう言葉を受けて、能天気にしか見えない主は笑う。じゃあお互いに遠慮はなしで、なんて自己満足を吐きながら。
ホリデーも終わり、日常が戻ってきてしばらく。ジャミルは相変わらずカリムの世話を焼き、振り回されては奔走する。そこに不服や罵倒が加わった些細な違いは事情を知らない者には驚かれたが、二人の関係自体は変化なしと捉えたようだ。有り難いようで全く喜べない。
結論から言えばジャミルは無事だった。
お家騒動を誘発して僕らに何の得があるんです、などど白々しく言い放ったオクタヴィネル寮長から中継は談話室のみだったことが明かされたからだ。寮生にもWin-Winな契約とやらで実質の箝口令が敷かれ、何よりあのカリムが騒動明けの家族への電話で嬉しげに語って霧散した。
「ジャミルが居てくれて本当に嬉しいぜ!」
太陽の笑顔で伝える大馬鹿野郎に世界は優しく、両親から絶賛の声が届いたのは言うまでもない。実に優秀な息子である。一族にとって。
箱庭だからこそ出来た反乱は、それこそ閉じた場所だから隠蔽された。己の矮小さを思い知らされた気分だ。
別に本当に全てを壊せると思った訳じゃない。そう考えるにはジャミルは頭が回りすぎたし、抑圧からの爆発であるオーバーブロットなんてヤケクソ以外の何でもなかった。蓋を開けてみれば、癇癪を起こした子どもの喧嘩だ。
己の長年の鬱憤――こんな表現で済まされるものではない――がその一言で片付けられてしまうことさえ理解してジャミルは脳内で白旗を上げた。割に合わない。
元々、仕事そのものは染み付いている。従者として生きてきて今更投げ出す方が気持ちが悪い。今までの人生を自分で否定するようなものだ。ジャミルには誇りがあった。
「お前が死ぬということは俺が従者として至らなかった事実にしかならない。全力で持ち上げてやるから脱落なんかするなよ」
オブラート一切なく本音を告げたところ、ぱあっと顔を輝かせる鈍感野郎。
「じゃあ、ジャミルはずっと一緒なんだな!」
(無邪気に喜ぶな!)
心底最悪だ。隠しもしないウンザリ顔にもめげる様子はなく、追い討ちがかかる。
「生きてるうちに好きになってもらえるよう頑張るぜ!」
頭が痛い。前向きにも程がある。
***
前と変わらないばかりではなく、カリムはジャミル以外にも頼ることを覚えた。具体的には交流の質が変わったとするべきか。ディアソムニアのシルバーやハーツラビュルのリドルなんかは前からよく見ていたから、特段思うところはない。問題は、よりにもよってあのオクタヴィネルの人魚どもと関わりが増えている事実だ。悪辣な絡みなら容赦なく弾けもするが、親切心を装い――実際、まともなアドバイスと謝礼の応酬で非の打ち所がない――歓談するところを邪魔すれば不利なのはどう考えてもジャミルである。
刃物も火も使わない言い付けを守りつつ、魔法で料理をするくらい抜け道を作ってみせたカリム。最早ただの阿呆扱いするほど自分も愚かじゃなかった。応用力のある馬鹿だ。
鍋をかき混ぜるだけで済んだあの日を思い起こす。出来ることが増えれば奴らはまた提案するだろう。
「練習がてら賄いから始めるのは如何です?」
脳内のアズールと数メートル先の声が重なった。油断も隙もない。曲がり角すぐ、広い廊下の端で和やかな雰囲気で勧誘されるのを見せ付けられる。
「海の料理はオレも気になってた! レパートリー増やすの大事だよな!」
すぐさま頷くと共にオーバーリアクション。誰彼構わず愛想を振り撒き面倒を大きくするのはやめろと言いたい。
そう、面倒だ。客を連れてくるのではなく、管轄外で宴を始める。交遊から手段を増やして実行しようとする。ジャミルがいるから、ジャミルに聞くからで済ませてきたものを昇華させては見慣れた笑顔と賛辞を向けるのだ。
我慢ならなかったあの光景。
朝、自分以外が居るカリムの部屋。
厨房で仕切られる知らない料理。
当然の流れで放たれる言葉といえば。
――はすごいぜ!
「っふざけるな!!」
喉の奥から呻いた音は想定より大きく響き、四対の視線がジャミルへと向いた。それぞれの感情を確かめる前に唇が紡ぐ。
「そこは俺の場所だ、カリムが喜ぶのも笑いかけるのも誇らしげにするのも全部俺だから意味がある!」
あの日膨らんだ怒りの一端、自分でなくても良いような空気こそ許せない。
突如、怒りを帯びて現れたジャミルに瞬く人魚たち。リーダー格より早く、慇懃無礼な長身が口元で弧を描く。
「いっそ清々しい無茶を仰いますね」
「うっわ、ドン引き~」
「ジャミルさん、あなた支離滅裂ですよ」
追従する同じ顔は笑わず呆れた風情。すました態度で見つめるアズールが片手を動かして息を吐く。それが更に苛立った。
「嫌いな奴が好きで何が悪い!!」
「そんな開き直り方あります?」
渾身のシャウトが相手の動揺を誘い、傍らで補足が淡々と語られる。
「開き直りに関してはアズールの言えたことではありませんね」
「だよね~」
「お前たち」
視線を眇めるアズールと傍らの茶番は続いているが、カリムは最初の叫びから固まって動いていなかった。漸く見開いた瞳が閉じて、また開く。数秒にも満たない間が随分と長く感じる。呆然とした様子の主が、確かめるよう口にした。
「ジャミルは、アズールが好きなのか?」
「お前だよ!!」
一旦戻ってきた正気が彼方へ飛んだ。
アズールが嫌いだという認識は間違っていないが今はそこじゃない。どうしてこの流れで辿り着く答えが他者なのか。ジャミルとカリムの世界にはお互いしかいなかった。二人だけだったはずだ。
「俺は最初からお前の話しかしてないだろ! 何もかもお前のせいだ、お前が悪い、責任を取れ!!」
「わかった」
「何がわかっただ勢いで返事しやがって」
ここで気付く。カリムの顔が至極真剣になっていることに。
「責任は取る。結婚しよう、ジャミル」
「は」
時間が停止した。表情の消えるジャミル、固まるオクタヴィネル一行。確実に一秒、全くの無音となった場所で動けたのはカリムのみ。たいして離れていない距離を軽く詰めて、慈愛を湛えた笑みで覗き込む。それは、多数に向けられる色ではなかった。
「絶対、幸せにするからな」
「はあ?!?!」
顔が熱いのは怒りと屈辱であって羞恥ではない、絶対にない。伸ばされる手を振り払っても嬉しげなのが苛立って手首を掴んだ。引き寄せる体勢になってしまったと思った時には抱き締めていた。顔を見たくないからである。
「二次会は是非、モストロ・ラウンジで」
耳に届くアズールの声に殺意が高まった。
2020/06/07