確認タイムラグ
ジャミルが元気になったのと入れ替わりに、オクタヴィネルの3人は自分たちの寮へ戻っていった。何かあればいつでもお呼びください、と微笑むアズールを睨み付けるジャミルの視線は鋭い。当たり前のように日常を再開する流れで、それでいいのかと思わず見つめたカリムの意図を汲んだかのごとく不機嫌な声が飛んだ。
「俺がいないと生きていけないくせに」
「確かに!」
「いや即答するなよ」
思わず口をついて出た納得へ、台詞を吐いた本人から指摘が入ったが自分の思考に沈んだカリムには届かない。全くもってその通りなのだが、改めて本人から言われると破壊力が凄まじい。つまりは、ジャミルでなければカリムという存在が保てないから、日常を続けるということだ。
それは何か変わったんだろうか、そもそもジャミルは何かを変えたかったんだろうか。
その場で出なかった答えを抱えたまま、カリムは寮生と対峙することになる。
要約すれば、時間が欲しい。その趣旨を受け入れてくれた寮生には感謝しかなかった。ジャミルを厳しい目で見つめる者もいれば、カリムの意に沿うことで派閥を主張する者もいる。どこも集団になれば縮図なんだなあ、と当たり前のことを思った。ジャミルはすました顔で隣の位置をキープしている。手抜きなんて一切なく、事情を知らない相手からすれば、本気を出したジャミルが更に輝いて見えるだけだ。そう、積極的に難しい問題に挙手をして、テキパキと実験もこなす姿は優秀の一言。クルーウェルが機嫌良く呼ぶ名前の響きが嬉しい。
ジャミルの欲しかったもの。評価される場所。考えてはまとまりきらない思考は、思わぬところで答えが出た。
悔しいという感情を、どれだけ長く押し込めてきたのか。一度の経験でいてもたってもいられなくなったカリムには想像しかできない。更には大会の結果を受けて、舞台の上で泣き出した自分を宥めてくれた。
正直言って、加点しかない。そもそも減点したことなどないのだが。
ジャミルが何かをしてくれるたび、好きの気持ちが膨らむし、やっぱり一番だと思う。カリムにとって、ジャミルは存在そのものが大きすぎる。当たり前を再確認したからこそ、失うわけにはいかない。
決意を新たにしてオンボロ寮からスカラビア寮へと戻った数日後、口火を切った。用事で訪れた相手を引き留める上手い言葉なんて浮かばなかったので、そのまま伝える。
「オレ、ジャミルが傍にいたいと思えるように頑張るからな!」
「は?」
唐突な宣言は理解を得られなかったらしい。順序立てて話そうとしたところで、片手で遮るような相手の仕草。口を塞がれることはなかったが、なんとなく反射で言葉が止まる。
「お前、勘違いしてないか」
「ええ?」
かんちがい、と脳内で読み上げても分からない。音がそのまま回るように頭に響くうち、理解を待つ気もない相手が追撃を放つ。
「本当に離れたいなら代わりなんて誰でも見つかるだろ」
いきなりの核心に目を見開く。取り入りたい奴はたくさんいる、などと呟くそのトーンと冷たい眼差しは、ホリデー後にジャミルを厭う寮生へ向けたものと相違ない。
「そんな大した志もない奴の手落ちでお前が死ぬとか反吐が出るな」
「死ぬのは確定なのか」
「お前のうかつさをカバーできるのは経験則だ。俺以上になるまでに死ぬ」
つい零れた相槌へ言い切る容赦のなさ。それがあまりにも自信満々だったから、笑ってしまった。
「それは困るなあ」
既に緊張感の飛んでいたカリムの表情が柔らかく緩めば、ジャミルも力を抜くように息を吐く。溜め息と混ざったそれが少し恥ずかしかったのか視線は一瞬外れ、舌打ちのあとに再度重なる。
まっすぐ見つめる相手の唇が動く。
「お前の存在自体が、俺の優秀さの証明なんだ」
言った端から説明が足りないとばかり眉が寄せられ、早口で告げる。
「お前が死んだら俺も死ぬんだよ」
思考が完全に止まった。限りなく物騒な発言であるのに、悪意は微塵も感じられない。むしろ、伝わってくるものは身体に染み入るような甘い痺れだ。蝕む毒ならいざ知らず、向けられたのは自分の世界で一番の相手なわけで。
「なんか、ドキドキした」
ぽつりと呟いたカリムへ、いつのまにか距離を詰めたジャミルが近い。とても近い。悪い笑顔を浮かべた相手は心底嬉しげな様子で言う。
「なんだ、伝わるんじゃないか」
なにが、と聞く前に唇を塞がれた。
「お前には、愛の言葉じゃ到底足りない」
2021/09/10