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終わり良ければ

 さすがにこれは消えてしまいたい。この場合、消滅ではなく透明を意味するが、現実逃避したところで解決するはずもなく炭治郎は頭を抱えた。
 昨夜は簡単にいえば酒盛りだった。はじめからそうではなかったのだけれど、仲の良い者同士が呼び掛けるうちに大人数になり、であれば宴と相成ったのである。もちろん、炭治郎は飲むつもりはなく、月夜でご機嫌の禰豆子の隣で肴を摘まんでは楽しげな空気に浸っていた。甘露寺が妹を可愛がっては、その風景に善逸が酔いしれる。ふと、視界の端へかかる色。本人と違って主張の強い羽織に瞬いて、するすると近付いた。炭次郎が来るのを分かっていたようで、隣に座ったと同時に、妹は良いのかと問われた。
「楽しそうだから大丈夫です」
「そうか」
 言葉は途切れるが気まずくはない。静かに杯を傾ける相手が自分を厭うているなら留まってはくれないし、話し掛ければ相槌がぽつぽつ返る。
 騒がしい輪から外れて並ぶだけで、何故か贅沢な気持ちになるのは何故だろう。高揚が背中を押して、いつもより密やかに近くで言葉を交わした。
 記憶にあるのはここまで。本当にそこで終わってくれれば良い夜だったで済むのだが、そうはいかないから今だ。炭治郎は己の杯を持って移動していた。中身は涼しげな果実水で、アオイのオススメだとか。しかし、ごちゃごちゃした空間で同じ杯があちこちにあれば取り違えも起こる。透明では咄嗟の見分けもつきにくく、浮かれた状態で口元まで持っていきかけて初めて気づいたのだ。酒に。
 今更の話だが炭治郎は鼻が利く。つまりは場酔いではなく匂い酔い、度数の高かった酒にあっさりやられて昏倒した。
 
 目覚めてみれば、そこは蝶屋敷ではなく、隣を向けば並んだ布団に冨岡が眠っている。声にならない声で飛び起きかけて口を必死に押さえた。なんとか上体を起こすと、視界に薬の袋がひとつ。頭痛がするなら飲むよう書き添えられており、しのぶの筆跡と思われる。またお世話になってしまった。反省の気持ちで昨夜を思い返しながら、わざわざ竹筒で置かれた――起きてすぐ飲める配慮だろう――水を手に取って一口含む。寝起きの身体に染み入って、半分ほど静かに飲み干したあたりで視線を感じた。
「……触りはないか」
「おっ、はようございます! 元気です!」
「そうか」
 安堵の匂いを感じて心配をかけてしまったのだなあ、と再び申し訳なくなる。昨夜は義勇さんが運んで下さったんですか、迷惑かけてしまってすみません。そう口にすると、とんでもない答えが返ってきた。
「覚えていないなら、いい」
「俺、何したんですか?!」
 大したことじゃない、と沈黙されて問答にもならず、付きまとう訳にもいかなかったので使わなかった薬を返しにいく。泥酔者を介抱していた彼女なら何かしら知っているかもしれない。しのぶは笑顔で迎えてくれたのち、炭治郎の問いに口元へ手を当てた。ふふふ、と上品に零れる笑いに続いたのは意識を失った直後の話。畳で頭を打つ前に支えてくれたのはやはり冨岡で、くったりした炭治郎を迷いなく抱え上げた。それを見て宇随が「おっ、お持ち帰りか」と囃し立て、揶揄された冨岡は表情筋が固まったままで深く深く溜め息をつく。
「からかい甲斐がないって言われていました」
 完全な傍観者の感想に炭治郎は固まる。
 聞かされる方は気が気ではない。
 迷惑をかけてしまった、とてつもなく迷惑をかけてしまった。自分の記憶の酔っぱらいという存在に照らし合わせて導き出される答えとしては、完全に寝落ちる前に何かやらかした。それも答えを濁す程の。思い当たる節があるから埋まりたい。
 
 酒の勢いで出ては困る思慕が胸の奥に根付いて久しい。完全に自覚するまでそこそこ掛かったけれど。
 
 義勇さんが好きだなあ、はそれ以上でもそれ以下でもなく炭治郎にとって当たり前の感情であり意味をつける必要はなかった。いつでも胸の中に灯っていて温かくて力をくれる。
 しかし、言葉にするとどうも怪しくなる気がするのだ。気付かないように頭の隅に追いやった違和感と向き合う羽目になるのは冨岡が自分を見ている時で、段々と膨らんではあふれそうなものを掬っては隠して蓋をする。
 酒が枷を無くす手段とするならば、それが言葉として零れてしまったのかもしれない。
「せめて記憶があれば……!!」
 廊下の隅で頭を抱えて蹲りかけてハッと我に返る。
(というか迷惑なら言ってくれた方がいいな! いや良くはないけど! 辛いけど! でも俺は見返りを求めて好きな訳じゃない)
 通り掛かった蝶屋敷の少女たちに何でもないよ、と微笑みを返して冨岡邸へ再度向かう。思い立ったが決戦だ。


「あの! 何を言ったか分からないので思うままを伝えます! 俺は義勇さんが好きです!」
 お邪魔します、から玄関で息継ぎなしの告白を受けて冨岡は瞠目した。
「困らせてすみません! でも意識があやふやなときに言ったままになるよりは自分できちんと言いたいと思いまして!」
 匂いを感じる前にと謝罪および己の気持ちを改めて並べ立てたところ、困惑の気配が届いて冨岡が呼んだ。
「炭治郎」
「はい」
「いま初めて聞いた」
「はい?!」
 目を見開くのが炭治郎の番になる。
「じゃあ、俺はあの夜、何したんですか!!」
「甘えるように抱きついてきた。そういうものは聞きたくないかと」
「言ってください!!」
 空回り全開の顛末に頭を抱えて蹲る。冨岡が気遣ってくれたことこそを無駄にした感覚がすごい。勝手に思い込んで大暴走もいいところだ。思わず責めてしまう言葉になったことを反省しつつ、呻きながら顔を上げていく。
「いえ、早とちりですし、そもそも倒れた俺が悪いので。忘れ……るのは難しいかもしれませんが、気にせずにいてくださると助かります」
「炭治郎」
「はい」
 再度呼ばれる声に反射で答えると戸惑う匂い。そりゃあどうするか迷うよなあ、申し訳ないなあの気持ちで相手の顔を窺う。
「俺はお前が好きだ」
「そうなんですか?!」
 目線を合わせた瞬間、受け取った衝撃に声が裏返る。見下ろす高さになっていた冨岡が膝を突き、距離を縮めて言葉を続ける。
「そもそも、酩酊するお前を胡蝶に任せず連れ帰ったのは何故だ」
「義勇さんが優しいからです」
 即答を受けて冨岡が一瞬詰まり、表現を選ぶように音を紡ぐ。
「……大切だからだ。抱き付かれて、あの場に留めなくて良かったと思った」
「義勇さん、俺のこと好きなんですか?!」
「さっき言った」
「そうでした!!」
 混乱が大きすぎて受け止めきれない。聞き返した一回は完全に反射だったし、二回目はそういえばそんなこと言われたな本当だった?! の意だ。疑うのではなくて、ただただ驚いて処理できない。
「ええと、その、」
 つまりは好いた相手が自分を想ってくれていて、それを知らずに問い詰めた結果による判明な訳だが、玉砕を前提に突撃したのもあって頭が全く働かない。頬から耳までなんとなく熱くなってきた気がする。これは赤い、多分とても顔が赤い。
「だんだん恥ずかしくなってきたので一旦おいとましてもいいでしょうか……!」
「駄目だ」
 座ったまま挙手をする炭治郎へ常の表情のまま言い放った冨岡は、先程とは違う惑いの匂いと伝えるべきものを探すような匂いを滲ませ、ややあってぎこちなく口にした。
「此処にいろ」
 冨岡の言葉が足りなかったお陰で、二人が玄関から移動できたのは十分ほど後のことである。

2019/02/08

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