乗算の程度
Today
どういうわけか及川は今、公園にいる。否、過程は分かる。提案したのは自分自身であるし連れてきたのも及川だ。
暦の上では春になろうがまだまだ寒いこの時期で、ぽかぽか陽気に見舞われることは幸運だと思う。
だからこそ公園でお弁当をつつこうとか平和な考えに至るのはおかしくもない。
そのきっかけが隣のクソ可愛い馬鹿の手作りということを除けば。
互いに午前授業だと分かっていた今日、当たり前のように昼飯からの約束を取り付けた。
そんな時はだいたい外食からのお泊りコースで、夜は及川の部屋で適当に作ることも多い。
だから、いつも身軽な相手の荷物がひとつふたつ多くても気にも留めなかった、のだが。
「弁当、作ってきました」
常の表情でさらりと落とされた内容を理解するのに一分程かかった。
いつ、だれが、どこで、なにをした。子どもの頃遊んだ他愛のないゲームばりに飛び交う単語をもう一度並べ替え、律儀に返事を待つ影山に告げる。
「じゃあ、天気がいいから公園いこっか」
流れだけを見れば実に普通だしスマートだが、及川の混乱は未だおさまらない。
タイミング良く空いていたベンチに腰掛けて、途中で買ったお茶を袋ごと傍らに置く。
相手の取り出す大きめの箱、蓋を被せるだけの大きな正方形に近いそれが互いの間にふたつ並んだ。
影山らしい大雑把な仕様に少し安心したところ、ひとつ開かれた中にはみっしり詰まったサンドイッチ。
もうひとつは箱一杯の唐揚げだった。
「おお」
思わず感嘆の声が漏れる。なんというか、無理のない範囲でしっかり食べでのある量を用意した潔さが好ましい。サンドイッチはベーコンと菜の花と卵で彩りも鮮やかであるし、それなりに手が込んでいた。プチトマトは潰れそうだからやめときました、と続けるあたりも面白い。電子レンジで作る唐揚げはそうでもないと思っていたけれど、食べてみれば案外美味しい。プラスアルファの要素が大きい気はするが、ちょろいと言われようと何よりもの調味料だ。
「テキトーにやったらべちゃっとしてパンが駄目になるって書いてあって。ストレッチしねーと身体やっちまうようなもんかなって」
「そういうとこ素直だよね」
上京するに際して母親から簡単なレシピ本を譲り受けた影山は、余裕があれば自炊した。タッパーに入れて漬け込むだけなら夜寝る前に冷蔵庫、朝のロードワークに行く前に仕込んで帰ってから作る。ついでにしてしまえば苦もないどころか性にあっていたようだ。及川の部屋で包丁を持たせた時、危なげなく使うのを見て少し驚いた。
「で、なんでいきなり作ってきたの」
忘れかけてたお茶を相手に渡しつつ、三つ目のサンドイッチを掴みながら問い掛ける。ぱちぱちと二回瞬いた影山が当然のように言った。
「及川さん、弁当欲しいって言ってたじゃないですか」
記憶を遡ること数週間。食後にだらだらとテレビを見ながら話した夜。
バレー雑誌に夢中で話なんか大抵聞いていない影山を横に置き、特集番組を見ながら口走った。
――弁当って存在がなんかテンション上がるよね。出掛けるときのって特別な感じがして好き。
他愛のないその発言をしっかり覚えて、実行したわけだ。
「………………お前かわいすぎかよ」
手の中のサンドイッチを握り潰さぬよう努力し、なんとか言葉にした。
(それで作る?!ふつう!いやコイツ普通じゃなかったな?!)
「あとこの前貰ったんで、何返したらいいかずっと考えてて」
「は?」
「ホワイトデー、やった方がいいかと」
連撃の精度に絶句した。つい一ヶ月前に通り過ぎたとばかり思っていたものをそんな形で拾いにくるとは。
今まで何もなかった訳でもないが、きっちり意味を持たせたのは今年ともいえる。
その日、及川から渡したという事実で他を上書きしてやりたかったのだ。例え一ミリたりとも他へ意識が向かないとしても、自分以外の権利ごと潰してしまいたい。実際に貰うなとまではさすがに言いはしないが。
その際、おまけと称してラッピングのない板チョコも投げてやった。それだって及川イチオシの一品である。
正直いって自己満足、嬉しそうに受け取る相手を見ただけで溜飲は下がった。しっかり返してくるなんて想定外だ。
「……手作りとか、重い」
零れ落ちる暴言が力なく響く。そう、これは散々言って聞かせた台詞。
顔見知りどころか話したこともない誰かの手作りは避けるべき、距離感が怖い、そんなことを付き合ったばかりの頃に言ったのだ。ただし、付き合いの深さや本命は除く。
片手で顔を覆い、呻くので精一杯の及川へ降ってくる言葉がひどかった。
「及川さん、重いの好きですよね」
「お前限定でな!!」
やけくそで荒げた声に喜ぶ気配がして更に腹が立つ。
「帰ったら覚えてろよ」
「はい、楽しみにしてます」
「クソガキ」
開き直った両思いほど、たちの悪いものもない。