及川さんはめんどくさい
はじまりの
「玉砕しに来ました」「はあ?」
春なんてまだまだ遠いとしか思えない気温の続く平日。相手を待ち伏せしての第一声は自分でも酷いと思った。運良く、一人で帰る及川を捕まえられたのはいいけれど完全ノープランと言っていい。
「及川さんには敵いません宣言なの? 馬鹿がランクアップしたの?」
「及川さんには絶対勝ちます」
「絶対とか言うなクソガキ」
影山に対しては不機嫌が割り増しされる相手は眉を跳ね上げながらも言葉を返す。無視をしないあたり付き合いが良いのではと思いそうになるが、この場合は言い負かす方に目標をシフトしたらしかった。つまり及川徹は沸点が低い。それが適用されがちなのは自分であることも分かってはいる。しかしどんなに底意地が悪かろうが邪険にされようが目標は揺るがない。
影山飛雄にとって及川徹はいつまでも掴みたい星だ。
そんな思考も感情も知る由もない相手は、実に忌々しいとばかり眉間のシワを深めて告げる。ポケットに手が入っていなければ犬を追い払うような仕草もついただろう。
「罰ゲームならよそでやってくんない、お前に構ってる暇なんてないんだけど」
「あ、はい。お疲れっした!」
試合終了。解散の合図のように頭を下げるのも早かった。すぐさま踵を返そうとすると及川の怒りが爆発する。
「お前何しにきたんだよ!」
もっともな言い分だ。影山からすればここまでの行動を起こしただけで十分とはいえ、自己満足に巻き込んだなら説明責任はある。分かりきった返答を聞くのは正直堪えるが、潔く散ろう。
足を踏み出せば数歩の距離。決して埋まらないと感じる地点で、まっすぐに及川を見た。
「及川さんにフラれようと思って」
空気が止まる。時間でも停止したのではと錯覚しそうな気まずい沈黙は、薄雲の中ちらほらと落ちてきた雪と共に破られる。
「…………飛雄」
「はい」
「喧嘩売っても買ってあげないよ?」
「売ってません、ただフラれに来ました」
「はあ?!」
眦まで吊り上げて本気の怒りを見せてくる相手はまだ信じていない。馬鹿にするなと、お前はいつもそうだと今にも叫び出しそうな顔だった。
「及川さんが俺のこと嫌いなのは知ってます。でも俺は好きです。たぶん中学の時から一番好きです」
「――な、っ」
驚愕に染まる相手が固まった。好機を逃すまいと言葉を重ねていく。今日が初めてで、そして最後だ。それならば、きちんと目を見て言ってしまいたい。
「及川さん以上の人とかいねぇし、いつか追い越したいし、ずっとかっけーって思ってます」
気づけば口の中は乾いていて、緊張していたのを今更自覚する。これ以上昂ぶれば泣いてしまうかもしれない。
「聞いてくれてあざっした!」
思い切り頭を下げ、声を張り上げる。言い切った、終わった。軽蔑の表情はさすがに見たくないから、そのまま後ろを向いて走り出す。決めていた通り、足を動かした。
もう飛び出していたはずの身体はしかし、腕を掴まれて後ろへ傾ぐ。踏み出す足は前へ進めず、引き止める力に間抜けな体勢で止まった。罵詈雑言を覚悟した影山の耳へ届いたのは、たっぷり五秒以上の溜めを伴った拗ねた声音。
「………………なんで返事聞かないの」
おそるおそる振り返った先、捨てられそうな子どもみたいな顔をしている及川を見て唐突に理解した。
2018/01/12