及川さんはめんどくさい
忘れじの
好きなタイプ。ありふれた質問へ答えるのはファンサービスの一種だと先輩から聞いた。答えたら答えたで、そうじゃないんだよなあ、と困ったような笑いを向けられて首を傾げる。強い人。影山飛雄の好きなタイプは短く記載された。
いや本当に強ぇし、出来上がったプロフィールを誌面で眺めながら胸のうちで呟いたつもりが、近くの牛島に聞こえたらしい。視線がかち合い、そのまま逸らされると思った瞳が手元の雑誌を見る。得心がいった様子で顎元へ手を当てた相手が、数歩の距離を詰めて落とした声で呟く。
「実在しているのか」
「普通に生きてますね」
影山の答えを聞き、周囲を改めて窺った牛島は自分達だけになったロッカールームで神妙に語り出す。つまり、特定の相手がいることは個人の自由ではあるものの話題を提供しては餌食になりやすい。互いの平穏および未來の為に情報管理は徹底すべきだという有難い忠告だった。なるほど納得、頷いた影山は礼を述べ、その上で律儀に言ってしまった。
「でも俺、ホリュウらしいんで」
「保留、とは」
脳内で瞬時に変換できなかった当時の感覚のまま口すると、思わず繰り返した相手が困惑に染まる。
「お前は人のものだって自覚を持って日々を過ごせって言われました」
淀みなく答えたあとの、間。常に真顔の牛島は、珍しく迷うような素振りから静かに告げた。
「それは、所謂キープではないのか」
およそ相手から発せられる機会がなさそうな単語を聞いて、すごいの意味で、おお、と声が出た。
***
堰を切ったよう捲し立てる最初の叫びは凄かった。
「お前にそんな情緒があるなんて聞いてない!」
誰に。 心の中での即答は声に出さなければ伝わらず、反応の遅れた影山へ及川が追撃を畳み掛ける。
「飛雄はもっとこう、成長してから後悔するくらいがお似合いでしょ! 及川さんに言われて気が付くレベルでいいんだよ、なに自覚してんだバーカバーカ!!」
押し掛け告白からの玉砕を試みたその日。逃げ出す自分を引き留めた想い人は泣き出す寸前の子どものように顔を歪めたかと思うと癇癪を起こした。
「保留! 及川さんにこんな惨めな思いさせたんだからお前なんか保留だよ! 余所見とかしてみろ、絶対許さないからな」
「しません」
「クソガキ、」
怒濤の勢いへ答えを挟むと、ぐっと唇を引き結んで小さく零し、そのままの顔で近付いてくる。いつの間にか肩が押さえられ、息のかかる距離で囁かれた。
「目ぇ閉じろバカ」
***
無意識で指を唇へ当てる。あの日、一度だけ得た証。
高校を卒業してすぐ何処かへ旅立ってしまった及川の足取りはさっぱりで。連絡先の確保は出来ているとはいえ、詳しいことは何も知らない。試合の後に中身のない連絡を寄越すから、見たんですかと聞けば流される。生存確認だけはさせてくれた。たぶん、影山から連絡しても返事くらいはあるだろう。
忙しい日々を過ごす中、繋がっているというのは支えだった。
そしてある時、思いもしない方向から所在地が割れた。驚きをすぐさま共有したくて牛島を引き留めたところ、咎めもせず画面を見てくれる。記憶より大人になった及川がそこにいた。
「珍しいじゃん」
話せますか、とだけ送ったら時間を指定したメッセージが来て、一分の遅れもなくコールが鳴った。すぐに出れば笑いを含んだ声。写真と記憶の相手を重ね合わせ、お疲れ様です、とだけ声が落ちる。話したいことも聞きたいこともたくさんあったが、口から飛び出したのは無意識の塊。
「俺ってキープなんですか?」
「はあ?!」
お前にそんな語彙あったの? だの言ってくる及川は、以前の牛島へ相対した自分と似ているかもしれない。失礼だと分かったから気を付けようと思う。ヒートアップしていく相手に何故か懐かしさを覚える。これは、この流れは前にもあったような。記憶を探る前に及川が喚く。
「キープって言うなら永遠にキープだよ、ずっと俺のだから!!」
耳元の大音量に思考が吹き飛んだ。沈黙が違う意味で気まずい。じわじわと顔が熱くなるのは気のせいではない。
「…………電話で言わせんなバカ」
吐息の混じった声音に、あの日の体温を思い出した。
2019/11/19
過去のオフラインに本誌軸の妄想を加えて一本にしたもの。