menu

請い恋

before

 ――週末、寝ててもええから俺の部屋おって。

 簡素な一文へ既読をつけたあと、平仮名二文字を打つだけで相当な時間を要してしまった。見慣れたアプリのメッセージ画面から視線を外し、窓の外の雨を見る。泊まりの許可は秒で下りるだろうし、荷物を作るのも慣れたものだ。
 中学から積み重ねた信頼は互いの家で顔パスになっていたし、甥っ子も謙也くん謙也くんと懐いて久しい。当たり前のように高校生になっても一緒にいて、大学へ進学する相手が照れくさそうに合鍵を渡してきた。それすら、財前くんたまに見に行ってあげてよね、で済まされてしまえば信頼の重さに罪悪感も募る。いつまでたっても彼女の影さえ見えない理由はずばり、そういうことだからだ。
 誘いの返答に窮したのは今更すぎる葛藤というよりはそれこそ塵が積もったようなもので、自分の迂闊さに頭を抱えたい。
 謙也は広く物事を見るタイプで、加えて身内にはひたすらに甘い。その恩恵をもっとも受けたといっても過言ではない財前はとにかく尊重されてきたし可愛がられた。関係も曖昧どころかきちんと告白からお付き合いの流れで、誕生日だの折に触れて時間を捻出する。
 二人で過ごす日々を重ねていくうちに、察するのは簡単だった。謙也は物理的な贈り物をしてはこない。
 旅行土産だったり他愛のないものや消えものはあるが、いわゆる恋人らしいなにかはない。財前から口火を切るにはタイミングをあまりにも逸してしまった。
 普段身に付ける手袋だの、簡単な既製品さえ通ってこなかったせいで取っ掛かりがない。気にする必要もなかったはずのそれは、医学部と受験生の多忙セッションによって精神に多大な揺さぶりをかけた。
 相手を思い出す時間に贈り物を眺めるのは定番らしい。確かに身に付けられるアイテムは理にかなう。クラスの女子が内緒話にしては大きい声で語る一節を拾って急に焦燥が増したのは何故だろう。深夜の電話、声を潜めながら短時間挨拶をかわすくらいの逢瀬にて、財前はやらかした。
「なんでもええから、謙也さんのもん欲しい」
 眠気のピーク、無防備の極みにて発した台詞のあとの記憶は勿論ない。寝落ちたのだ。目覚めて真っ青になるものの、文章でなければ記録もなかった。謙也からはいつものテンションで、挨拶に加えてちゃんと眠れたか気遣うメッセージが届いていた。
 言及はなく、かといって自分から掘り返すこともできず悶々と過ごして一週間。会いたいと言われて無邪気に喜ぶのは難しかった。謙也はきっと何かを用意している。させてしまったのだ。
 しかし人間とは図太いもので、悩んだ割に財前は謙也の部屋で爆睡した。受験を控えたストレスと今回の件とで中途半端な寝不足が続いたのだから仕方がない。加えて、恋人の部屋で相手のベッドへ潜り込んでしまえば慣れた香りが安堵を携えて眠りへ引き込む。
「……やっぱ寝とるやんな」
 密やかに呟く音を拾えたのはちょうど眠りの浅い周期のおかげで。そっと壊れ物を触るように髪を撫でる指にぼんやり瞼を開けた。
「起こしてもた?ごめんな」
 優しく呼び掛ける相手の顔は、薄暗くてまだよく見えない。完全に消えてはいない電気は最小の光で、リモコンでいえば保安灯だかそんな表記だった。けんやさん、と寝起き特有の掠れた声で呼べば、ぐっと詰まる気配がして。ああもう、だとかそんな呟きが耳に届く。いつの間にか取られた手、指は絡んで温かい。また眠りに落ちる寸前、力が籠る。
「お前のこと、むっちゃ好き」


 ***


 カーテン越しの光で目覚める。跳ね起きる。先週の再現のようで全く違う。ただ嬉しいだけの夢を見た気がするが現実であることは腰に巻き付いてきた相手の腕で理解した。
「もうちょい寝ようやあ」
 完全に寝惚けた口調に表情が緩みかけて停止する。動かした利き手の微かな違和感、無意識に持ち上げれば輝く金属が視界に映る。
「はあ?!」
 思わず声を響かせた財前へ、ふにゃりと綻ぶ謙也の顔。そのまま柔らかく語り出す。
「財前起きてからにしよ思たけど、嵌めるん我慢できんかってん」
 ちゃんとチェーンもあるしな、と続ける様子はふわふわしており、受けとる側は全く落ち着けない。それすらも想定内だとでもいうようにつらつら紡ぐ。
「あれやん、縛るとかな、あんましたなかってん。俺むっちゃ独占欲あるし、なんかあげたら歯止めきかんのちゃうかなって。そやけど財前と離れる気ぃないしお前かわええし、俺のこと大好きって態度で示しよるし。しまいにあないなこと言うて寝落ちるとか反則やで。電話はどうしようもないけど昨日は目の前におったのに我慢した俺のこと褒めてや」
 完全に思考が追い付かず、謙也の言葉が脳内を一周して胸に落ちた。途端、ぶわっと全身が熱くなる錯覚。否、確実に茹で蛸になっているだろうことが相手の容赦ない一言で認識させられる。
「ふは、財前真っ赤やん」
 笑いながら布団へと引き戻す腕の力は強い。逆らえるはずが、なかった。細まる瞳と視線が熱を帯び、寄せる吐息で囁きかける。
「顔見たいから明るくてもええ?」

BACK  2
top