trick for you!
from 炭治郎
扉を開けて閉めた。なんてことのない動作だが、問題は部屋の中にある。居たのだ、人が。否、正確には浮いていた。
見間違いだ幻覚だと己に言い聞かせ、息を深く吸って静かに吐く。
再度、ゆっくり開いた扉の向こうには、比喩でなく地に足のつかない少年が在った。軍服を思わせる上下に市松模様の羽織、うっすら全体が透けているのが洒落にならない。
先刻は一瞬、今度はしっかり目を合わせてしまったそれは驚愕の表情を浮かべたのち、その場で勢いよく頭を下げた。
「今日からお世話になります!」
「かえれ」
即答は反射だった。
***
大学合格を期に、一人暮らしを決めた。当初は寮に入るつもりだったが、気軽に会いに行けないと寂しがった姉には勝てず親戚の持ち家であるアパートへ入居した。自分のペースで生活できることを考えれば正解だったかもしれない、と荷物を紐解きながらぼんやり思う。最低限の家具で構成される1Kにはテレビもなく、季節ごとにまとめた衣服等を片付ければあっという間に終わってしまった。周囲を見回りがてら、駅から近いコンビニへと足を向ける。長袖でなくては寒いが少し動くと暑さを覚え、季節の合間を肌で感じた。
ホットドリンクを手に取りかけて、箱へしこたま詰められたインスタント珈琲、紅茶、カップスープの類いが頭をよぎる。結局、弁当だけの会計で帰路に着く。
玄関の鍵を回し、自分だけの靴を見て、一人が始まると実感する。僅かな感傷を飲み込んで部屋を区切る扉の取っ手を掴んだ。
その結果が幽霊である。訳が分からない。
疲れていると結論付けて、そのまま弁当を広げたものの、お湯を沸かすのを忘れたことに思い至る。完璧に混乱していた。水分がなくても食事は出来るが、視界の端にチラチラ映る幻覚は消えない。何か言いたげな様子の少年は、おずおずと口に出す。
「あの、お茶を飲まなくて大丈夫ですか?」
答えず素早く席を立った。
「お前は何なんだ」
保温ポットに充分注いで確保をし、湯のみその他を抱えて戻る。粉末の日本茶を興味深げに眺める相手へ端的な疑問をぶつけた。
「俺にも分からないんです」
うーん、と困ったように少年は語る。気付けば此処に居たこと、名前も思い出せないこと、そして部屋からは出れないこと。聞きながら奇妙な違和感を覚え、それが相手の耳飾りだと気付いた。花札のような意匠で大きさも主張が激しいが、一切の音がしない。揺れても金具が鳴らないのだ。実体を持たぬ、その意味に知らず眉が寄る。額の大きな痣も気になった。授業で見た写真とは随分違うが、少年兵だろうか。
「義勇さん、」
覗き込む距離で呼ばれて瞠目した。机に埋もれている身体がシュールでむしろ怖さがない。続くような語尾の切り方をしておいて黙るので、驚きで飛びそうになった疑問を口にする。
「荷札を見たのか」
引っ越したばかりの簡素な部屋で段ボールが積まれていれば嫌でも目に入る。あれだけハッキリ書かれていて違うと嘘を吐くつもりもない。それより躊躇なく名前で呼ぶのは何なのか。とにかくやけに近いのだ、この少年は。
「素敵なお名前ですね」
ひとかけらも悪意なく微笑むと身を引いた。何故か物足りなく感じて、開きかける唇。お前は?そう問うても返ってこないのを瞬時に思い出し、湯のみへ口をつけた。とてもぬるい。